ピッパリはの出身で、のちのマハーカッサパである。
彼は妻バッダー・カピラーニーと同時に出家し、分かれ道で別々に進む。
仏陀は竹林から一人で迎えに出て、ラージャガハとナーランダーの間のバフプッタ塔廟のそばの大樹の下に坐る。 大正蔵
パーリ三蔵
カッサパは自ら仏陀の弟子であると名のり、仏陀は三つの教えによって彼に戒を授け、彼と衣を交換する。
カッサパは出家して八日目にを得た。
異なる記載
出家の順序における位置:仏伝『過去現在因果経』『仏所行讃』と漢訳『摩訶僧祇律』の名簿はサーリプッタ、モッガッラーナの後に置く。
仏伝『仏本行集経』は二人の前に置く。
漢訳『中本起経』はサーヴァッティーの祇園の時期に置き、早くとも成道第五、六年以後となる。
記載の相違をさらに見る(2)
南伝『増支部』の後世の註釈書は、仏陀がこのときすでに竹林に住んでいたと描き、「八十人の大長老の誰にも告げずに」という言葉があり、時期が遅いことを示唆して第一年とは合わない。
「出家して八日目に阿羅漢を得た」は、南伝『相応部』と漢訳『雑阿含経』でマハーカッサパ自身が語っている。
時期
年は不確定。
経典自体は年を記しておらず、第一年の末に置く説は後世の註釈書と仏伝の配列の順序に由来するだけで、これによれば成道第 2 年のの前(仏陀三十六歳)の可能性がある。
漢訳『中本起経』の配置はずっと後で、年は不明である。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『雑阿含経』、漢訳『摩訶僧祇律』の三部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:年は不確定。
出典
- パーリ三蔵巴利 SN 16.11:9.1
- 大正藏大正藏 T02 no.99 p.302c–303b
- 大正藏大正藏 T02 no.99 p.303b
- 大正藏大正藏 T02 no.100 p.417c
- 巴利註解書巴利註釋 AN-a,I 181
- 巴利註解書巴利註釋 AN-a,I 376
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.653a–b
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.33c–34a
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.861c
- 大正藏大正藏 T04 no.196 p.161a–b
- 大正藏大正藏 T22 no.1425 p.412c