後世の註釈書によれば、アナータピンディカ長者(祇園を寄進した富商)とヴィサーカー夫人(東園鹿子母講堂を寄進して建てた女性信者)の両家の功徳により、仏陀は晩年サーヴァッティーの祇園と東園鹿子母講堂を定まった住処とした。
雨季以外は各地を遊行し、の間はこの二か所にだけ住む。
この年の雨安居もここで過ごす。
この雨安居中にどの経が説かれたかは、経典にも註釈書にも明記されていない。
異なる記載
雨安居の間、二か所にどう分かれて住んだかについて、後世の註釈書の説は一致しない。
毎日、昼と夜に二か所の間を往復した。
年ごとに祇園と東園を交替して住んだ。
あるいは合計で祇園に十九年、東園に六年。
記載の相違をさらに見る(2)
漢訳『僧伽羅刹所集経』の一つの読み方では、仏陀は十九年にわたって舎衛国で雨安居し、この年はその二年目である。 大正蔵
もう一つの読み方では、第 25〜43 年をサーヴァッティー一帯と数え、この年もその中に含まれる。
どちらの読み方でも、この年はサーヴァッティー一帯である。
仏陀がサーヴァッティーで雨安居した総回数を、後世の註釈書は二十五回とするが、ここでの配列と現代の学者の整理では二十四回である。
時期
成道第 27 年、仏陀六十一歳、雨安居中。
「晩年は長くサーヴァッティーに住んだ」は後世の註釈書によるもので、第 27 年という年次は前後の出来事から推定したもの(雨安居の順序から配列)であり、年のみ判明。
祇園に住んだか東園に住んだかについては、年ごとの記載がない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
早期各部派の経律には記載がなく、註釈書または後出の仏伝にのみ見える。
後世の補述に属する。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
年齢からの換算(仏陀の年齢から換算した)。
時間の精度:年は不確定。
出典
- 巴利註解書巴利註釋 AN-a,§37,VRI 2.31、緬甸版 2.31
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,序分
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,§272,VRI 2.69、PTS 2.165
- 巴利註解書巴利註釋 DN-a,§111,PTS 3.860
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,§390,PTS 2.297
- 巴利註解書巴利註釋 Dhp-a,§1,VRI 1.4
- 大正藏大正藏 T04 no.194 p.144b
- 巴利註解書巴利註釋 AN-a,§37
- 巴利註解書巴利註釋 DN-a,§111
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,§390
- 巴利註解書巴利註釋 Dhp-a,§1
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,§272