その地に飢饉が起こり、乞食が困難になる。
仏陀はたちをそれぞれ友人のもとに身を寄せさせ、ヴェーサーリーの周辺に分散してを過ごさせ、自らはアーナンダとだけベールヴァ村にとどまって雨安居を過ごす。 パーリ三蔵
これが仏陀の最後の雨安居である。
異なる記載
飢饉:漢訳各本、蔵訳律典とサンスクリット本『大般涅槃経』はいずれも飢饉を明記する。
南伝パーリ経典の本文には記されず、後世の註釈書だけが住処と食物の不足を述べる。
記載の相違をさらに見る(3)
同行者:漢訳『遊行経』と『根本説一切有部律』はアーナンダだけが残ったと明記する。
南伝パーリ経典は「私はここで雨安居を過ごす」と述べるだけで、アーナンダに言及しない。
サンスクリット本『大般涅槃経』も、仏陀がアーナンダを侍者として残ったとする。
漢訳『仏般泥洹経』には「安居」の二字がなく、雨安居とみなせるかどうかは疑問がある。
法顕訳『大般涅槃経』にはこの段がない。
南伝の後世の註釈書は、仏陀が「あと十か月住んでする」と語ったと記す。
時期
成道第 45 年、仏陀七十九歳から八十歳、雨安居に入るとき。
雨安居は経典の明記により、入安居の日は南伝律典の慣例からアーサールハ月(Āsāḷha)の満月の翌日と推定し、おおよそ月まで確定。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、サンスクリット本『大般涅槃経』、漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
雨安居の場所からの推定(この年の雨安居の場所から推定した)。
時間の精度:月のみ判明。
出典
- 巴利註解書巴利註釋 Sv,§163
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 245b2–245b7
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§13.1–13.11、14.1
- 轉引自現代整理本轉引自現代整理本
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§13.5
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.164c
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.180a
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.387a
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.180b
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 245b3–245b7
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》§13.8–13.9
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§13–14
- パーリ三蔵巴利 DN 16:2.21.2–2.22.5
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.15a
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.164b–c
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§13.4–14.1
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.43c