各国はクシナーラーに使者を遣わし、「仏陀はクシャトリヤであり、我々もクシャトリヤである」などの理由で仏陀の遺骨の一部を求める。 パーリ三蔵
クシナーラーのマッラ族は「仏陀は我々の領内でした」ことを理由に拒み、各国の軍隊はそのため城下に迫る。
南伝パーリ経典はマガダ王アジャータサットゥ、ヴェーサーリーのリッチャヴィ族、カピラヴァットゥの釈迦族など七方を挙げ、遅れて来たモーリヤ族は火葬の後の炭を分け与えられただけであったとする。 パーリ三蔵
異なる記載
要求に来た各国の名簿と訳名は各本で異なり、各名の対応は多くが推測である。
時期
仏陀はすでに入滅している(入滅時八十歳)。
ここではなお成道第 45 年、後に数える。
南伝パーリ経典は七日間の守護の後とする。
前後の出来事からの推定で、この年としかわからない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶雑事』、漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』、漢訳三巻本『大般涅槃経』の五部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:年のみ判明。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 297b3–299a5
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 297b3–297b5
- パーリ三蔵巴利 DN 16:6.24.1–6.25.2
- パーリ三蔵巴利 DN 16:6.26.1–6.26.7
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.29b–c
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.29b
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.175a
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.190a–b
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.190a
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.207a–b
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.207b
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.401c
- 大正藏大正藏 T23 no.1435 p.446b–c
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.52b
- 大正藏大正藏 T04 no.193 p.112a