本項は遺骨の分配と建塔の日付を整理し、いくつかの説を並べる。
南伝の後世の註釈書は、後に供養七日、火葬七日、守護七日の計二十一日とし、第二十一日に遺骨を分け、同じ日にマハーカッサパが大衆を召集して結集を決めたとする。
漢訳『根本説一切有部律』は入滅からわずか七日ですでに遺骨を分けたとする。
漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』は、遺骨を分けた後、九十日置いてから塔を建てたとする。
異なる記載
三つの日付を並べる。
二十一日(南伝の後世の註釈書)、七日(漢訳『根本説一切有部律』)、九十日後に建塔(漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』)。
時期
仏陀はすでに入滅している(入滅時八十歳)。
ここではなお成道第 45 年、後に数える。
日付は経典と後世の註釈書がそれぞれ明記し、合わせて三つの説があり、それぞれある一日まで確定できるが、定説はない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「二十一日説」の節は、早期各部派の経律には記載がなく、註釈書または後出の仏伝にのみ見える。
後世の補述に属する。
そのうち「九十日説」は漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』のみに記載があり、「七日説」は漢訳『根本説一切有部毘奈耶雑事』のみに記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 297a3
- 巴利註解書巴利註釋 Sv,§239
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.402b
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 299a4–299a7