菩薩の妃が男児を産み、ラーフラと名付けられた。 パーリ三蔵
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ラーフラが菩薩の息子であることは主要な各部派の経典に記載があるが、経典自身はいつ生まれたかを記していない。 大正蔵
南伝の後世の註釈書は、菩薩が出家した日に生まれ、菩薩はその夜出家する前に妃と息子を見に行き、抱き上げずに去ったとする。
漢訳『根本説一切有部律』は、菩薩が出家した夜に妃が懐妊し、菩薩が成道した日に生まれたとする。 大正蔵
異なる記載
誕生の時期:南伝の後世の註釈書は出家当日とし、別の説として出家時にすでに生後七日であったという説も引く。
仏伝『仏所行讃』は出家前にすでに生まれていたとし、『過去現在因果経』『仏本行集経』は出家前に懐妊したとし、漢訳『根本説一切有部律』は出家前に懐妊し成道の日に生まれたとする。 大正蔵
記載の相違をさらに見る(3)
名の由来:南伝の後世の註釈書は、菩薩が息子の誕生を聞いて「ラーフが生まれた、束縛が生まれた」(「ラーフ」は障碍の意)と言い、国王がそれによりラーフラと名付けたとする。
漢訳『根本説一切有部律』は、生まれたときちょうど月蝕があったため名付けたとする。 大正蔵
妊娠の期間:漢訳『根本説一切有部律』は、菩薩が苦行していたとき、妃ヤソーダラーもそれに倣って食を減らし、胎児が日ごとに衰弱したとする。 大正蔵
仏伝『普曜経』『方広大荘厳経』は、仏陀が成道後に帰国したとき、釈迦族の人々が、太子は国を離れて十二年になるのにどうして息子がいるのかと疑ったとする。 大正蔵
ほかの出典(1 件)
同じ日の誕生:漢訳『根本説一切有部律』は、同じ日にドートーダナ王(菩薩の叔父)にも男児が生まれ、アーナンダと名付けられたとする。 大正蔵
時期
南伝の後世の註釈書の「出家当日」説によれば仏陀二十九歳、漢訳『根本説一切有部律』の「成道の日」説によれば三十五歳。
各本の時期が異なり、ある一日まで確定できるが、定説はない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- パーリ三蔵巴利 Bv 27:15.4
- パーリ三蔵巴利律 Kd 1:54.1.5
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.779b
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.101b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.105a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.115a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.121a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.124b–c
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.632b
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.633c
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.727a
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.5a
- 大正藏大正藏 T03 no.186 p.536c
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.616a
- 巴利註解書巴利註釋 Ja-a
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,§50,PTS 0.280、0.0282
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.124c
- 大正藏大正藏 T03 no.184 p.462b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.124b
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,PTS 0.280