手描きの仏陀のモチーフと buddha chronicle のワードマーク
経典・律典・後世の註釈書に基づく
出典について

夜半に王宮を出て出家する

多部派共伝

菩薩は二十九歳のとき、家庭を捨てて出家し、最高の安らぎを求めた。

南伝『中部』第 26 経などは仏陀の自述を記す。

当時まだ若く、髪は黒々として壮年の盛りにあり、父母が反対して泣くのを顧みず、鬚髪を剃り、をまとって出家した、と。

漢訳『五分律』と『根本説一切有部律』はこう記す。

菩薩は夜半に目覚め、宮女たちの乱れた寝姿を見て、宮殿が墓場のように思われ、厭離の心を起こし、御者チャンナ(太子の御者)に馬を用意させ、夜半に馬に乗って城を出た、と。

出家したこと、二十九歳で出家したこと、夜半に馬で城を出たことの各点は、主要な各部派の経典に記載がある。

異なる記載

出家の年齢:南伝『長部』第 16 経、漢訳『長阿含経・遊行経』『雑阿含経』『中阿含経・羅摩経』、法顕訳『大般涅槃経』などは二十九歳とする。

仏伝『修行本起経』『太子瑞応本起経』『過去現在因果経』、および漢訳『根本説一切有部律』の仙人の予言は十九歳とし、これによれば二十五歳成道となる。

漢訳『別訳雑阿含経』の一つのは三十一歳とする。

ここでは一律に二十九歳で計算する。

記載の相違をさらに見る(3)

日付:仏伝『太子瑞応本起経』と漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』は四月八日、『修行本起経』は四月七日の夜半過ぎ、『過去現在因果経』は二月七日とする。

南伝の後世の註釈書はの満月の夜半とする。

出家の仕方:南伝『中部』第 26 経などは父母がその場で泣く中、菩薩が鬚髪を剃ったとする。

漢訳『四分律』は菩薩が父母の意に背いて自ら剃髪したとする。

漢訳『五分律』『根本説一切有部律』と南伝の後世の註釈書は、菩薩が人々の熟睡に乗じて夜半に馬で去ったとする。

城を出るときの助力:漢訳『五分律』は城門が自ら開いたとする。

漢訳『根本説一切有部律』はが人々を眠らせ、の大将が梯子を架けて菩薩を城壁から下ろしたとする。

南伝の後世の註釈書は神々が馬の蹄を支えたとする。

馬の名は乾陟、御者は闡陀などとも訳される。

時期

仏陀二十九歳。

この年齢は経典が明記する。

月日は各本で異なり(四月八日、四月七日、二月七日、南伝の後世の註釈書はアーサールハ月の満月)、ある一日まで確定できるが、定説はない。

関連項目

年
地名
人物
説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
信頼度の判定方法

「家を捨てて出家する」の節は、南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、漢訳『五分律』、漢訳『中阿含経』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。

そのうち「二十九歳で出家」は四部派に記載があり、「夜半に馬で城を出る」は漢訳『五分律』と漢訳『中阿含経』の二部派に記載がある。

年の根拠と時間の精度

経典の明記(経典自身が時期を記している)。

註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。

時間の精度:この日まで確定、月のみ判明、年のみ判明。

出典

仏陀 29 歳へ戻る

原典

日期怎麼讀

成道第幾年
從佛陀成道開始,每經過一次雨季安居算一年,每一年算到安居結束為止;所有年歲一律依二十九歲出家、三十五歲成道推算。
年份依據
區分經文自己明記、後世註解書記載、先後順序推定及年歲換算。
時間精確度
分別說明確定到日、月、年,或只能放入某幾年之間。
可信度
多派共傳、兩派記載、單派記載與後世補述,表達記載的共傳範圍;與時間及位置是否確定分開閱讀。