菩薩は城を出た後に馬を降り、華麗な衣服と宝冠を脱いで御者に渡し、馬を引いて王宮に戻り父母に告げるよう頼んだ。
御者は泣いて離れようとしなかったが、菩薩は許さなかった。
菩薩は頭髪を剃り、袈裟をまとった猟師と衣を交換した。 大正蔵
剃髪して袈裟に着替えたことは主要な各部派の経典に記載があり、御者に馬を引いて王宮へ戻らせたことは漢訳『五分律』と『根本説一切有部律』に見える。 パーリ三蔵
異なる記載
誰が髪を剃ったか:漢訳『四分律』『根本説一切有部律』、仏伝『方広大荘厳経』、南伝の後世の註釈書は菩薩が自ら剃ったとし、漢訳『五分律』は剃髪師が剃ったとする。
漢訳『根本説一切有部律』は、菩薩が刀で髪を切って空に投げ、帝釈天が受け取って三十三天に持ち帰り供養したとし、『五分律』は帝釈天が衣で髪を受けたとする。
記載の相違をさらに見る(3)
場所:漢訳『五分律』は城から遠くないアヌピヤ林で、スマナ樹の下で剃髪したとする。 大正蔵
南伝の後世の註釈書はアノーマー川の岸とし、その後マンゴー林に七日間とどまったとする。
交換して得た衣:漢訳『五分律』と仏伝『仏本行集経』は猟師の袈裟を得たとし、『太子瑞応本起経』などは猟師の鹿皮の衣とする。
南伝の後世の註釈書はが出家者に必要な八種の用具を献上したとする。
その他:南伝の後世の註釈書は、太子の馬カンタカが悲しみのあまり心が砕けて死に、三十三天に生まれたとする。
漢訳『五分律』は菩薩が「我今已為出家、自然具戒」(私はすでに出家したのだから、おのずから戒を具えている)と思ったと記す。 大正蔵
時期
仏陀二十九歳、出家の夜から翌日。
前後の出来事からの推定(南伝の後世の註釈書は菩薩が一夜のうちに川辺まで歩いたとする)で、おおよそこの一両日のうちであるが、完全には確定しない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「剃髪して袈裟をまとう」の節は、南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
そのうち「御者に馬を引いて王宮へ戻らせる」は漢訳『五分律』と漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の二部派に記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.102a–b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.117c–118a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.779c
- 大正藏大正藏 T02 no.99 p.167a
- 大正藏大正藏 T03 no.184 p.468a
- 大正藏大正藏 T03 no.185 p.475c
- 大正藏大正藏 T03 no.186 p.508b
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.576c
- 大正藏大正藏 T03 no.188 p.619c
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.633c
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.737c
- 大正藏大正藏 T03 no.191 p.947a
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.9c
- 大正藏大正藏 T04 no.193 p.67c
- 巴利註解書巴利註釋 Ja-a
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,§50,PTS 0.283–0.284
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.102b
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.102a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.117c
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.118a
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,PTS 0.283
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,PTS 0.284
- パーリ三蔵巴利 MN 26:14.1