菩薩はラージャガハに来て、家々を回って、その振る舞いは荘重であった。 パーリ三蔵
ビンビサーラ王は楼上から遠くにそれを見て人を遣わして後を追わせた。 大正蔵
パーリ三蔵
菩薩は食事を終えて城を出、山の麓に坐した。 パーリ三蔵
国王は自ら赴いて対面し、その家系を尋ねた。
菩薩は、自分は雪山(ヒマラヤ)のふもと、コーサラ(古代インド北部の大国)一帯の釈迦族の出であると答えた。 パーリ三蔵
国王は国土を分け与えるか王位を譲ろうとしたが、菩薩は受けず、ただ解脱を求めるだけであると言った。 パーリ三蔵
国王は成道した後にまず会いに来るよう頼んだ。
主要な各部派の経典がこの出来事を記している。
異なる記載
国王が与えようとしたもの:漢訳『四分律』と『雑阿含経』第 604 経は国の半分を分け与えるとし、『四分律』はさらに国全体と宝冠を譲って自分は臣下になると願ったとする。
漢訳『五分律』は臣下として仕えたいと願ったとし、南伝『経集』は財産を与えると言ったとする。
記載の相違をさらに見る(3)
国王の頼み:漢訳『四分律』は成道後にまずラージャガハに来て会うこととし、漢訳『五分律』は成道の日にまず国王と国民を教化することとする(この約束の実現は成道第 1 年を参照)。
場所:南伝『経集』と漢訳『四分律』はパンダヴァ山、漢訳『根本説一切有部律』は般茶山、漢訳『五分律』はバーラーナシー山とする。
順序:漢訳『四分律』『根本説一切有部律』と南伝の後世の註釈書はこの出来事を、菩薩が二人の師に学ぶ前に置き、仏伝『過去現在因果経』『仏所行讃』は後に置く。
漢訳『五分律』には師に学ぶことと苦行の記載がなく、国王が去った後、菩薩はそのまま菩提樹へ向かう。
時期
仏陀二十九歳、出家後まもなく。
漢訳『四分律』は到着後「翌日の早朝」に入城して托鉢したと明記するが、この出来事が出家後どれほど経ってのことかは、前後の出来事から推定するしかない。
年は完全には確定しない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:年は不確定、この日まで確定。
出典
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.1:1.1–20.5
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.779c–780b
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.102b–c
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.118b–119a
- 大正藏大正藏 T02 no.99 p.167a
- 大正藏大正藏 T03 no.184 p.468b
- 大正藏大正藏 T03 no.185 p.476b
- 大正藏大正藏 T03 no.186 p.509c
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.579b
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.637a
- 大正藏大正藏 T04 no.193 p.70b
- 巴利註解書巴利註釋 Ja-a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.780a
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.102c
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.118c
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.1:17.3
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.1:18.4–19.2
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.118c–119a
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.102b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.118b
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.1:4.1–4.2
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.1:10.3
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.779c
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.780b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.119b