菩薩は、苦行がどれほど厳しくとも最高の智慧は得られないと悟り、かつて父王の田のほとりの閻浮樹(インドでよく見られる大樹)の下でに入った経験を思い出して、「これこそ覚りへの道かもしれない」と思った。 大正蔵
パーリ三蔵
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またこの喜びと楽は欲望とは無関係であり、恐れる必要はないと考えた。
しかし身体が衰弱しすぎてこの禅定に入りがたいため、飯と粥を食べ始め、体力を回復した。 パーリ三蔵
仕えていた五人の修行者は菩薩が精進を捨てたと思い、失望して彼のもとを去った。 パーリ三蔵
ほかの出典(1 件)
主要な各部派の経典がこの出来事を記している。
異なる記載
食べた物:の『中部』第 36 経は飯と粥、漢訳『四分律』は少量の飯と炒った麦粉とする。
漢訳『根本説一切有部律』の〈出家事〉は、菩薩が美味な乳酪を食べ、酥油を身に塗り、香湯で沐浴したとする。
時期
仏陀三十五歳、六年の苦行の後。
漢訳『四分律』は「六年の苦行」の後と明記するが、正確な時期は前後の出来事からの推定による。
年は不確定。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の三部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:年は不確定。
出典
- パーリ三蔵巴利 MN 36:30.1–33.6
- パーリ三蔵巴利 MN 36:31.2
- パーリ三蔵巴利 MN 36:33.3
- パーリ三蔵巴利 MN 36:33.6
- パーリ三蔵巴利 MN 85:31.2
- パーリ三蔵巴利 MN 100:28.2
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.781a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.121b–c
- 大正藏大正藏 T23 no.1444 p.1026c
- 大正藏大正藏 T01 no.26 p.608a
- 巴利註解書巴利註釋 《柔軟經》
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.121c