が菩薩を妨げに来た。
魔が精進を捨てるよう勧めたとする記載もあれば、魔が魔女を遣わして誘惑し、魔軍を率いて威圧したとする記載もあるが、菩薩は少しも動じず、魔は最後に敗れて退いた。 パーリ三蔵
ほかの出典(3 件)
南伝『経集』、漢訳『根本説一切有部律』、サンスクリット本『マハーヴァストゥ』はいずれもこの出来事を記すが、起きた時期は異なる。
異なる記載
起きた時期:南伝『経集』は菩薩がネーランジャラー川のほとりで精進して苦行していた期間とする。
漢訳『根本説一切有部律』と仏伝『過去現在因果経』は成道の夜とする。
南伝の後世の註釈書は日が沈む前に魔軍を退けたとする。
サンスクリット本『マハーヴァストゥ』とサンスクリット本『ラリタヴィスタラ』には両方の場面がある。
苦行中に魔が来て思いとどまらせようとし、成道の夜に魔軍が攻めて来る。
記載の相違をさらに見る(3)
説得の経過:南伝『経集』によれば、魔は同情する口ぶりで菩薩に命を保ち善行に転じるよう勧め、菩薩は信・精進・智慧をもって答え、魔の十の軍勢(貪欲、不楽、飢渇などの煩悩)を列挙し、魔は失望して去った。
サンスクリット本『マハーヴァストゥ』の挙げる魔軍の項目はやや異なる。
威圧の経過:漢訳『根本説一切有部律』によれば、菩薩が指で地を指すと地神が地中から湧き出て証人となった。
魔はさらに三人の娘(名を貪・欲・愛着という)を遣わして誘惑し、次いで三十六倶胝(倶胝はきわめて大きな数)の魔兵に武器を持たせて攻めて来たが、菩薩は動じなかった。 大正蔵
同じ律の〈出家事〉は、菩薩が慈悲を鎧と武器として三十六万倶胝の魔軍を降伏させたとする。 大正蔵
時期
仏陀三十五歳、成道の前夜。
漢訳『根本説一切有部律』は成道の夜と明記し、仏伝『過去現在因果経』は二月七日の夜とし、南伝『経集』は苦行の期間に置く。 大正蔵
ある一日まで確定できるが、定説はない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』、サンスクリット本『マハーヴァストゥ』の三部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.2:1.1–2.1
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.2:15.2
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.123a–b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.123b
- 大正藏大正藏 T23 no.1444 p.1027a
- 大正藏大正藏 T03 no.184 p.470c
- 大正藏大正藏 T03 no.185 p.477a
- 大正藏大正藏 T03 no.186 p.520a
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.593a
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.639c
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.641b
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.788b
- 大正藏大正藏 T03 no.191 p.950a
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.25a
- 大正藏大正藏 T04 no.194 p.128b
- 巴利註解書巴利註釋 Ja-a
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.2経典の冒頭
- 轉引自現代整理本轉引自現代整理本
- パーリ三蔵巴利 SN 4.24経典の冒頭
- 梵文原典梵文《大事》第二冊 p.237–240
- 梵文原典梵文《大事》第二冊 p.268–283
- 梵文原典梵文《普曜經》第 18 品
- 梵文原典梵文《大事》第二冊 p.240
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.2:1.2
- パーリ三蔵巴利 Snp 3.2:1.1–1.4
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,序分
- 梵文原典梵文《大事》第二冊 p.237–240、p.268–283
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.782a
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.141b
- 大正藏大正藏 T22 no.1425 p.491c