仏陀は、自分が証悟した道理はあまりに深く、普通の人には理解しがたいと思惟し、説法しない方へ傾く。 パーリ三蔵
娑婆世界の主である梵天が姿を現し、三度にわたって仏陀に説法を懇請する。 大正蔵
仏陀が仏陀の智慧の眼で衆生を観察すると、教えを受け入れる能力が各人で異なり、池の蓮華のようであることが見え、説法を承諾する。 大正蔵
南伝『梵天勧請経』『聖求経』、漢訳『増一阿含経』、各部派の律典が記している。
異なる記載
時期:南伝パーリ律典は商人の供食の後、山羊飼いのバニヤン樹の下へ戻ったときとする。
南伝の後世の註釈書は第 49 日の後とする。
仏伝『過去現在因果経』は勧請そのものが二週間続いたとし、『仏本行集経』は第八週とする。
サンスクリット本『ラリタヴィスタラ』は場所を別の樹(ターラーヤナ樹)の下と記す。
記載の相違をさらに見る(3)
勧請した者:南伝パーリ経典と漢訳『四分律』『五分律』『増一阿含経』は梵天ひとりとする。
一部の仏伝と南伝の後世の註釈書は、梵天が帝釈天など多くの神々とともに来たとする。 大正蔵
サンスクリット本『ラリタヴィスタラ』は梵天の名を尸棄(シキン)とし、大勢の従者を率いて来たとし、二度目に請う前にまず帝釈天のもとへ相談に行ったとする。
きっかけ:仏伝『太子瑞応本起経』は、仏陀がしようとして光明を放ち、梵天が仏陀の入滅を恐れて来たとする。 大正蔵
他の記載はすべて、仏陀が説法しない方へ傾いたこととする。
サンスクリット本『ラリタヴィスタラ』はさらに、梵天がマガダ国の人々に「風は吹かず、火は燃えず、天は雨を降らさない」といった誤った考えがあるのを見て、再び請いに来たとする。
漢訳『中阿含経・羅摩経』と『増一阿含経』の別の一経には梵天の勧請がなく、「私はまず誰に説法すべきか」から直接始まる。 大正蔵
時期
成道第 1 年、仏陀三十五歳、前。
南伝律典の順序ではおよそ成道後第 29 日から第 35 日。
経典は勧請の日数を記さず、前後の出来事からの推定により、成道後数週間の内であることしかわからない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:おおよそ数年の間。
出典
- パーリ三蔵巴利律 Kd 1:5.1.1–5.13.3
- パーリ三蔵巴利 SN 6.1:1.2
- パーリ三蔵巴利 MN 26:19.1–21.10
- パーリ三蔵巴利 MN 85:43.1–45.10
- 大正藏大正藏 T02 no.125 p.593a–b
- 大正藏大正藏 T02 no.125 p.618a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.786b–787b
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.103c–104a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.126b–c
- 大正藏大正藏 T03 no.185 p.479c–480c
- 大正藏大正藏 T03 no.186 p.528a
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.602c
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.604b
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.642c–643a
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.803c
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.28b–c
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 39a2–40a5
- 梵文原典梵文《普曜經》第 25 品
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.643a
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.805a
- 大正藏大正藏 T03 no.185 p.480a
- 大正藏大正藏 T01 no.26 p.777a
- 大正藏大正藏 T02 no.125 p.618a–b
- SuttaCentral 對應表SuttaCentral 對應表 san-mu-kd17#sc155–