仏陀は菩提樹の下からバーラーナシーへ向かい、ガヤーと菩提樹の間の道での修行者ウパカに会う。 パーリ三蔵
ウパカは仏陀の清らかな容貌を見て、師は誰かと問う。
仏陀は偈で答える。
自分は一切に勝ち、一切を知り、師なくして自ら覚った、カーシの都(すなわちバーラーナシー一帯)へ行って不死の鼓を打ち鳴らすのだと。
ウパカは信じず、首を振って去る。
異なる記載
ウパカの名と身分は各本で異なり、邪命外道(アージーヴィカ、古代インドの苦行の一派)とするもの、・仙人・外道とするものがある。
サンスクリット本『ラリタヴィスタラ』の散文は「一人の邪命外道」とだけ述べ、偈に至って初めて彼をウパカと呼ぶ。
記載の相違をさらに見る(3)
反応:南伝パーリ経典は首を振って去ったとする。
仏伝『中本起経』は彼が聞いて大いに喜び、仏陀に説法を請うたとする。
漢訳『五分律』は神が彼を叱責したとする。
サンスクリット本『ラリタヴィスタラ』は、彼が答えた後に南へ行き、仏陀は北へ行ったとする。
道のり:南伝の後世の註釈書は、この十八の道を一日で歩き通したとする。
仏伝『方広大荘厳経』は、仏陀がまずバーラーナシー城で乞食し、食後に鹿野苑へ行ったとする。
サンスクリット本『ラリタヴィスタラ』は、仏陀が途中ガヤーで竜王スダッサナの供養を受け、いくつかの町を経てガンジス川の岸に至り、渡し守が渡し賃を求めると空を飛んで川を渡り、そのためビンビサーラ王が出家者の渡し賃を免除したとする。
仏伝『過去現在因果経』は、この出会いを商人の供食の後に置く。
時期
成道第 1 年、仏陀三十五歳、前。
後世の註釈書は、仏陀が白分十四日(満月の前日)の朝に出発し、その日の夕方に鹿野苑へ着いたとする。
註釈書によればこの日まで確定できる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『中阿含経』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- パーリ三蔵巴利律 Kd 1:6.7.1–6.9.6
- 大正藏大正藏 T01 no.26 p.777b
- 大正藏大正藏 T02 no.125 p.618c
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.787b–c
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.104a–b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.127a
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.605c–606a
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.643c–644a
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.808a–b
- 大正藏大正藏 T03 no.191 p.953b–c
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.28c–29a
- 大正藏大正藏 T04 no.196 p.148a
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 41a1–41a7
- 梵文原典梵文《普曜經》第 26 品
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.606b
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 41a1
- パーリ三蔵巴利 MN 26:25.1–25.27
- パーリ三蔵巴利 MN 85:49.2–49.28
- SuttaCentral 對應表SuttaCentral 對應表 san-lo-mvu94#sc38
- 轉引自現代整理本轉引自現代整理本