バーラーナシーの富家の子ヤサは夜中に目を覚まし、眠りこけた楽舞の女たちが乱れた姿でいるのを見て、屍林(死体を捨てる墓場)のようだと厭離の心を起こし、「ああ、苦しい」と口にしながら家を出る。 大正蔵
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パーリ三蔵
露天で行き来していた仏陀は彼に「ここには苦悩はない」と呼びかけて説法し、ヤサはを証得する。 大正蔵
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ヤサの父が追って来ると、仏陀はまず父に息子が見えないようにしてから説法する。 大正蔵
父は初果を証得して仏・法・僧に帰依し、世界で最初に三宝(仏・法・僧)に完全に帰依したとなる。 大正蔵
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パーリ三蔵
かたわらで法を聞いていたヤサは同時にを証得し、その後出家する。 大正蔵
世に七人の阿羅漢が現れた。
異なる記載
名前:漢訳『四分律』は耶輸伽、仏伝『仏本行集経』は耶輸陀とする。
『中本起経』は宝称とし、当時二十四歳だったとする。 大正蔵
『仏所行讃』は鳩尸城の人とする。 大正蔵
記載の相違をさらに見る(3)
証悟の順序:漢訳『根本説一切有部律』は、ヤサがまず三宝に帰依して五戒を受け在家男性信者となり、在家の衣を着たまま阿羅漢を証得したとする。
このため同律では「最初に完全に帰依した在家男性信者」の称号の帰属が明確でない。
仏伝『過去現在因果経』は、ヤサが阿羅漢を証得して出家した後に父が来たとする。 大正蔵
蔵訳律典のこの段には父のを記す文がない。
漢訳『摩訶僧祇律』にはヴェーサーリーの「カランダの子ヤサ」という別人がいるが、このヤサではない。 大正蔵
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時期
成道第 1 年、仏陀三十五歳、中、五人の証悟の後。
後世の註釈書はヤサがその夜に初果、翌日に阿羅漢を証得したとし、その他は前後の出来事からの推定による。
註釈書によれば連続する二日まで確定できる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- パーリ三蔵巴利律 Kd 1:7.1.1–7.15.7
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.789b–790a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.789c
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.105a–c
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.105b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.128c–129b
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.645a–c
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.645c
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.814b
- 大正藏大正藏 T03 no.191 p.954c
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.30c–31a
- 大正藏大正藏 T04 no.196 p.149a–b
- 大正藏大正藏 T04 no.193 p.79c
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 45b6–48b5
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.30c
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.129a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.129b
- 大正藏大正藏 T22 no.1425 p.229a
- 大正藏大正藏 T22 no.1425 p.238a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.790a
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 47a1–47a2
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 48a3–48a5
- パーリ三蔵巴利律 Kd 1:7.10.15