本年の安居はサーヴァッティーである。
後世の註釈書は、仏陀が成道第 21 年からサーヴァッティーの祇園または東園鹿子母講堂で安居したと述べる。
ここではこれに従って第 21〜44 年をサーヴァッティーに置き、最後の一年はベールヴァ村とする。
この年にどの経を説き、誰を教化したかは、経典に記されていない。
異なる記載
後世の註釈書を字面どおりに読めば、第 21 年から毎年サーヴァッティーにいたことになり、最後の一年もその中に数えられる。
しかしの『長部』第 16 経『大般涅槃経』は最後の安居をベールヴァ村に記すため、ここでは第 21〜44 年のみ、計二十四回と数える。
記載の相違をさらに見る(3)
安居の期間にどう住んだかは、後世の註釈書によって説が異なる。
安居のたびに昼と夜とで祇園と東園の二か所を往復した。
一度は祇園、次は東園と、年ごとに交互に住んだ。
あるいは祇園に十九回、東園に六回住んだ。
漢訳『僧伽羅刹所集経』は、第 26 年から第 44 年まで十九年続けてサーヴァッティー国で安居したと述べる。 大正蔵
後期のパーリ語仏伝(『勝者伝』(Jinacarita)など)も同じく、祇園と鹿子母講堂に二十五年住んだと述べる。
この種の作品は年代が遅く、参考にとどめる。
時期
成道第 35 年、仏陀六十九歳、中。
「第 21 年からサーヴァッティーで安居した」とは後世の註釈書が述べるもので、第 35 年という年次は前後の出来事からの推定(雨安居の順序に従って配列した)であり、年のみ判明。
祇園に住んだか東園に住んだかは、年ごとの記載がない。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
早期各部派の経律には記載がなく、註釈書または後出の仏伝にのみ見える。
後世の補述に属する。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
年齢からの換算(仏陀の年齢から換算した)。
時間の精度:年は不確定。
出典
- 巴利註解書巴利註釋 AN-a
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,序分
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,PTS 2.165
- 巴利註解書巴利註釋 Dhp-a,VRI 1.4
- 大正藏大正藏 T04 no.194 p.144b
- 巴利註解書巴利註釋 DN-a,§111
- 巴利註解書巴利註釋 DN-a
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,§390
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a
- パーリ三蔵巴利 DN 16:2.22.3
- 巴利註解書巴利註釋 Jinacarita
- 巴利註解書巴利註釋 《Jinavaṃsadīpanī》