カッサパという名の天子(神)が夜、サーヴァッティーの祇園に仏陀を訪ねて来て、「世尊は出家者とは何かを説明されたが、出家者への教誡は説かれなかった」と言い、自ら偈頌を述べた。 パーリ三蔵
ほかの出典(1 件)
南伝の後世の註釈書は、この天子が、仏陀が第七年に三十三天で阿毘達磨を説いたとき、「出家者」という語の説明だけを聞いて教誡を聞かなかったため、このように言ったのだと解釈する。
異なる記載
この経は南伝『相応部』第 2 相応第 1 経、漢訳『雑阿含経』第 1317 経、『別訳雑阿含経』第 316 経に見える。
これを第七年と結びつけるのは南伝の後世の註釈書のみである。
時期
経自体には年の記載がない。
後世の註釈書は、天子が聞いたその説法が第七年の中(仏陀四十一歳)であったとするが、この経自体がいつ説かれたかは不明。
年は不確定。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典と漢訳『雑阿含経』の二部派に記載があり、二派記載に属する。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:年は不確定。
出典
- パーリ三蔵巴利 SN 2.1:1.2
- 巴利註解書巴利註釋 SN-a,§82
- 大正藏大正藏 T02 no.99 p.361c
- 大正藏大正藏 T02 no.100 p.480a
- パーリ三蔵巴利 SN 2.1経典の冒頭