大臣は仏陀が城を出るときに通った城門を「ゴータマ門」(ゴータマは仏陀の姓)と名付け、川を渡った場所を「ゴータマの渡し」と名付ける。 大正蔵
パーリ三蔵
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このときガンジス川の水は岸と同じ高さまで満ちており、仏陀とたちはこちらの岸から消えて対岸に現れ、ガンジス川を渡る。 パーリ三蔵
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仏陀は偈を説く。
異なる記載
城門の方角:漢訳『般泥洹経』は東の城門とする。
サンスクリット本『大般涅槃経』は西門を出て北へ進むとし、漢訳『根本説一切有部律』は西へ城門を出てから北へ進むとする。
記載の相違をさらに見る(3)
神通:漢訳『仏般泥洹経』は人々がみな渡り終えたと述べるだけで、消失と出現を明記しない。
仏伝『仏所行讃』は、仏陀は舟が多く、一家の舟だけを偏って受けたくなかったために神通を用いたとする。
漢訳『五分律』『四分律』には仏陀がガンジス川を渡った別の記載があるが、そのときはビンビサーラ王がなお在世であり、最後の一年ではありえないため、ここでは別の遊行とみなす。
渡河の方法:サンスクリット本『大般涅槃経』は土地の人々が木綿の実、ひょうたん、浮き袋、皮袋などで川を渡ったとする。
南伝パーリ経典は舟、筏、浮き具とする。
時期
成道第 45 年、仏陀七十九歳から八十歳、前、パータリプッタに着いた翌日の午後。
川の水が岸まで満ちていることが唯一の季節の手がかりだが月はなく、前後の出来事からの推定で、この年のある一日であることのみ判明。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、サンスクリット本『大般涅槃経』、漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 238b4–239a5
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§7.4–7.11
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.178a
- 轉引自現代整理本轉引自現代整理本
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§7.4
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.135a–b
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.855c
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 238b4–239a4
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》§7.4–7.7
- パーリ三蔵巴利 DN 16:1.32.1–1.34.6
- パーリ三蔵巴利律 Kd 6:28.12.1–28.13.2
- パーリ三蔵巴利 DN 16経典の冒頭
- パーリ三蔵巴利 Ud 8.6経典の冒頭
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.12c–13a
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.163a
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.385b
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.41b
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§7.3–7.11