名高い遊女アンバパーリーが車に乗って仏陀に会いに来て、法を聞いた後、翌日の供養を受けてほしいと請い、仏陀は沈黙によって承諾する。 大正蔵
パーリ三蔵
ほかの出典(1 件)
リッチャヴィ族の人々が後から駆けつけ、大金を出してこの供養を譲ってほしいと願うが、彼女は応じない。 大正蔵
パーリ三蔵
リッチャヴィ族の人々が仏陀を招くと、仏陀はすでにアンバパーリーの招きを受けたと述べる。 大正蔵
ほかの出典(1 件)
いくつかの漢訳経典は、さらに一人の婆羅門の青年が偈を説いて仏陀を讃え、リッチャヴィ族の人々から贈られた上衣を仏陀に献じたと記す。
異なる記載
順序:法顕訳『大般涅槃経』はこの出来事を、仏陀が三か月後のを宣言した後、ヴェーサーリーを離れる途上に置く。 大正蔵
記載の相違をさらに見る(3)
南伝パーリ律典は、アンバパーリーとリッチャヴィ族の人々が、仏陀がまだコーティガーマにいるうちに城を出て会いに行ったとする。
リッチャヴィ族の人々が提示した額は各本で異なり、十万金、ヴェーサーリー全体、国の財産の半分などの説がある。
サンスクリット本『大般涅槃経』は、リッチャヴィ族の人々が婆羅門の青年に五百着の上衣を贈ったと記すが、仏陀に献じた部分は欠損している。
リッチャヴィ族の人々が大金でこの供養を譲り受けようとした段は、読める部分には見えない。
漢訳『遊行経』は、アンバパーリーがこのとき法を聞いた後、となることを願って五戒を受けたとする。
時期
成道第 45 年、仏陀七十九歳から八十歳、前、アンバパーリーが会いに来た当日。
「翌日の供養」は経典の明記により、この年のある一日であることのみ判明。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、サンスクリット本『大般涅槃経』、漢訳『五分律』、漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』、漢訳三巻本『大般涅槃経』の六部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 242a5–245a3
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§10.4–10.20
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§11.1–11.27
- パーリ三蔵巴利律 Kd 6:30.1.1–30.5.11
- パーリ三蔵巴利律 Kd 6:30.6.1–30.6.4
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.193b–195a
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.135c
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.163c
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 243a7
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》§11.20
- パーリ三蔵巴利 DN 16:2.14.1–2.18.6
- SuttaCentral 對應表SuttaCentral 對應表 sf245#wal11.12–11.20
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§11.12–11.20
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.13b–14b
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.14a
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.163b–164b
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.164a
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.178c–179c
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.179b
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.179c
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.385c–386c
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.386b
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.386c
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.135b–136a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.855c–856a
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.41c–42b
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.42b–43c
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.194c
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§10.4–10.20、11.1–11.27
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.135a–136a
- パーリ三蔵巴利律 Kd 6:30.1.0–30.6.10
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.13b