この段は南伝の後世の註釈書にのみ見え、前後の経文をつなぐために用いられる。
の後、仏陀は来た道を戻ってサーヴァッティーの祇園に帰る。
サーリプッタは暇を告げて故郷のナーラ村に帰り、自分の生まれた部屋でする。
入滅の前に母のために説法し、母はを証得する。
半月後、もう一人の大弟子モッガッラーナも入滅する。
仏陀はその後ガンジス川を渡ってウッカチェーラーに至り、川岸で、二大弟子が入滅した後の大衆は「空になったかのようだ」と語る(南伝『ウッカチェーラー経』)。
異なる記載
南伝『大般涅槃経』の本文は、ベールヴァ村の雨安居から直接、仏陀がヴェーサーリーに入って乞食する段へ続き、サーヴァッティーへ戻る往復はない。
漢訳と蔵訳の最後の旅を記す経典にも、いずれもこの段がない。
記載の相違をさらに見る(3)
場所:南伝経典は、チュンダ(仏陀に最後の食事を供養した鍛冶屋の子チュンダではない)がサーリプッタの衣鉢とをサーヴァッティーに運んだとし、漢訳『雑阿含経』はラージャガハとする。
南伝は仏陀が「空になったかのようだ」の経をウッカチェーラーで説いたとし、漢訳『雑阿含経』はマトゥラーとする。
漢訳『増一阿含経』は、二人が仏陀とともにラージャガハの竹園で雨安居を終えた後に入滅したとし、モッガッラーナが棒を持った外道に取り囲まれて打たれたと記す。
南伝の後世の註釈書は、モッガッラーナが外道に雇われた盗賊に身体を打ち砕かれたとする。
二大弟子が仏陀より先に入滅したこと自体は、南伝経典と漢訳『雑阿含経』などに見えるが、それがこの年の雨安居の後であるとするのは後世の註釈書のみである。
時期
成道第 45 年、仏陀七十九歳から八十歳、雨安居後。
後世の註釈書は、サーリプッタがカッティカ月の満月に入滅し、モッガッラーナはその半月後、下半月の布薩の日(出家者が半月ごとに集まって戒を誦する日)に入滅したとし、註釈書によればこの二日まで確定できる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「二大弟子が仏陀の前に入滅する」の節は、南伝パーリ経典と漢訳『雑阿含経』の二部派に記載があり、二派記載に属する。
そのうち「この年の雨安居の後、捨寿の前に入滅した」ことは早期の各部派の経律には見えない。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:この日まで確定、月のみ判明。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 247b3–247b7
- パーリ三蔵巴利 DN 16:3.1.1
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 301a7
- 大正藏大正藏 T02 no.99 p.176b
- 大正藏大正藏 T02 no.99 p.177a
- 大正藏大正藏 T02 no.125 p.639a
- 巴利註解書巴利註釋 SN-a,§380
- 巴利註解書巴利註釋 Sv,§166