仏陀はヴェーサーリーの大林の重閣講堂にたちを集め、自ら証得した法、四念処からに至る三十七種の修行法を説き、弟子たちに受持し修習して衆生を利益するよう求める。 パーリ三蔵
仏陀はさらに三か月後のを宣言し、「我が年はすでに熟した」などの偈を説く。
異なる記載
場所:漢訳『遊行経』は香塔近くの講堂、漢訳『根本説一切有部律』は取弓塔近くの食堂とする。
蔵訳律典は、アーナンダがチャーパーラ塔廟近くの出家男性たちを講堂に集めたとする。
サンスクリット本『大般涅槃経』も、チャーパーラ塔廟の近くに住む出家男性たちが講堂に集まったとする。
記載の相違をさらに見る(1)
漢訳『遊行経』はさらに仏典の十二の体裁(十二部経)の名を説く。
法顕訳『大般涅槃経』は、その晩に重閣講堂へ戻り、翌日になって出発したとする。
時期
成道第 45 年、仏陀七十九歳から八十歳、後、捨寿の当日またはその少し後。
「三か月後」は経典の明記により、入滅のおよそ三か月前であることのみ確定。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、サンスクリット本『大般涅槃経』、漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』、漢訳三巻本『大般涅槃経』の五部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
時間の精度:月のみ判明。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 250b6–251a7
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§19.1–19.10
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.16c
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.193b
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 250b6–251a2
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 251a7
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》§19.1–19.5
- パーリ三蔵巴利 DN 16:3.49.1–3.51.20
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.16c–17a
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.165b–c
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.181a–c
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.181a
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.192c–193b
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.193a
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.388b–c
- パーリ三蔵巴利 DN 16:3.48.8–3.50.1
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.165b
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.192c
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.388b