仏陀は食事の後に病が起こり、激痛で死に瀕するほどであったが、正念を保って耐え、「クシナーラーへ行こう」と告げる。 パーリ三蔵
南伝の後世の註釈書は、パーヴァーからクシナーラーまで三ガーヴタ(古代インドの距離の単位)あり、仏陀は途中で二十五回休み、日没にようやく沙羅林に着いたとする。
異なる記載
病状:南伝パーリ経典と法顕訳『大般涅槃経』は血を伴う下痢とする。
漢訳『遊行経』『仏般泥洹経』『般泥洹経』『根本説一切有部律』、蔵訳律典とサンスクリット本『大般涅槃経』は背の痛みとする。
記載の相違をさらに見る(1)
病と食事の関係:南伝パーリ経典はチュンダの食事を食べた後に病が起こったと明記する。
漢訳『遊行経』は、仏陀はもともと病んでおり、「雖食栴檀耳、而患猶更増」、すなわち栴檀耳を食べたものの病はなお重くなった、とする。 大正蔵
サンスクリット本『大般涅槃経』は病がチュンダの食事によって起こったとは述べない。
時期
成道第 45 年、仏陀七十九歳から八十歳、後、チュンダの供養の当日の昼。
当日は経典の明記により、南伝の後世の註釈書によればヴェーサーカ月の満月で、この日まで確定できる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「途中で病が起こる」の節は、南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、サンスクリット本『大般涅槃経』、漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』、漢訳三巻本『大般涅槃経』の五部派に記載があり、多部派共伝に属する。
そのうち「『下血』の語」は南伝パーリ経典と漢訳三巻本『大般涅槃経』の二部派に記載があり、「『背痛』の語」は三部派に記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 258a4–258a7
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§27.1–27.9
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 258a5
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》§27.6、30.5
- パーリ三蔵巴利 DN 16:4.20.1–4.20.13
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.18c
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.168a
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.183c
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.197b
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.390c
- 巴利註解書巴利註釋 Sv,§198
- 巴利註解書巴利註釋 Sv,§198,PTS 2.573