マッラ族のプックサは、クシナーラーからパーヴァーへ向かう途中で仏陀に出会う。 パーリ三蔵
彼は自分の師アーラーラ・カーラーマが、禅定に入っていたときに五百台の車が通り過ぎても聞こえなかったと讃える。 大正蔵
仏陀は、自分はかつて禅定に入っていたとき、雷鳴や稲妻さえ聞こえなかったと語る(南伝パーリ経典はアートゥマー村の穀物小屋でのことで、雷が二人の農夫と四頭の牛を打ち殺したとする)。 大正蔵
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プックサは二着の金色の衣を献じ、仏陀は一着をアーナンダに与えさせる。 大正蔵
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異なる記載
身分:南伝はマッラ族の人とする。
漢訳各本はの弟子、大臣、あるいは仙人の子とする。 大正蔵
サンスクリット本『大般涅槃経』はマッラ族の大臣とする。
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結果:南伝パーリ経典と漢訳『遊行経』は、彼が帰依してとなったとし、『遊行経』はさらにを証得し五戒を受持したとする。
法顕訳『大般涅槃経』は出家して阿羅漢を証得したとする。
漢訳『根本説一切有部律』と蔵訳律典にはの文がない。
サンスクリット本『大般涅槃経』にも帰依の文はなく、仏陀と僧団をもう一度供養したいと願ったと述べるだけである。
仏陀が語った過去の出来事の場所と筋は各本で異なり、たとえば法顕訳『大般涅槃経』は五百台の車と雷を二つの出来事に分ける。 大正蔵
サンスクリット本『大般涅槃経』は、仏陀はそのときアートゥマー村の一軒の家屋に坐っており、雷が打ち殺したのは四頭の牛と二人の農夫の兄弟だとする。
金色の衣:サンスクリット本『大般涅槃経』は、仏陀が自ら二着を受け取り、一着をアーナンダに分け与えなかったとする。
時期
成道第 45 年、仏陀七十九歳から八十歳、後、チュンダの供養の当日。
当日は経典の明記により、南伝の後世の註釈書によればヴェーサーカ月の満月で、この日まで確定できる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「プックサの来訪と献衣」の節は、南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、サンスクリット本『大般涅槃経』、漢訳『仏般泥洹経』『般泥洹経』、漢訳三巻本『大般涅槃経』の五部派に記載があり、多部派共伝に属する。
そのうち「帰依して優婆塞となる」は南伝パーリ経典と漢訳『長阿含経』の二部派に記載があり、「出家して阿羅漢を証得する」は漢訳三巻本『大般涅槃経』のみに記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 258b6–260b5
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》(Waldschmidt)§28.1–28.49
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 258b6
- 藏譯(德格版)德格版 D6 da 259b2
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》§28
- 梵文原典梵文《大般涅槃經》§28.46–28.49
- パーリ三蔵巴利 DN 16:4.26.1–4.37.1
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.19a–b
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.19a
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.168a–b
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.168a
- 大正藏大正藏 T01 no.5 p.168b
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.183c–184a
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.183c
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.197c–198b
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.197c
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.391a–b
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.391a
- 巴利註解書巴利註釋 Ap-a,§82
- パーリ三蔵巴利 DN 16:4.34.5–4.34.6
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.19b
- 大正藏大正藏 T01 no.6 p.184a
- 大正藏大正藏 T01 no.7 p.198b