仏陀は千人のを率いてラージャガハ郊外の杖林に至る。 パーリ三蔵
マガダ国王ビンビサーラは大勢のと在家者を連れて訪れる。
人々は仏陀がカッサパの弟子なのか、カッサパが仏陀の弟子なのかわからない。
仏陀はでカッサパになぜ祭火を捨てたのかと問い、カッサパは偈で答え、仏陀に頂礼して自ら仏陀の弟子だと名乗る。 大正蔵
仏陀は順を追って説法し、王はを証得して帰依し、翌日王宮で供養を受けるよう仏陀を招く。
異なる記載
季節:南伝の後世の註釈書は、仏陀がプッサ月(Phussa、古代インド暦の月名、冬)の満月にラージャガハに着いたとする。
漢訳『五分律』は「春の最後の月で、すでにとても暑かった」とし、両説は三、四か月の開きがある。
記載の相違をさらに見る(3)
人数:南伝パーリ律典は十一万人が初果を証得し、一万人が帰依したとする。
他の記載の多くは同時に八万の神々が証悟したとし、その場にいた人数は各本で異なる。
招きの仕方:南伝パーリ律典、漢訳『四分律』と『中阿含経』は王が自ら城を出たとする。
漢訳『根本説一切有部律』と仏伝『中本起経』は、王がまず伽耶山へ使者を遣って仏陀を招き、向かう途中で車輪が地に沈み城門がひとりでに閉じ、王が囚人を釈放して初めて進めたとする。 大正蔵
ほかの出典(1 件)
蔵訳律典もこの異変と囚人の釈放を記す。
王の願い:南伝パーリ律典は、王が若いころ五つの願いを抱き、今やすべて実現したと自ら述べたとする。
漢訳『四分律』は六つとする。
多くの記載はまた、王と出家前の仏陀との古い約束、すなわち成道したらまず王を教化しに来るという約束に触れる。
時期
成道第 2 年、仏陀三十六歳、前。
後世の註釈書はプッサ月の満月の日にラージャガハに着いたとし、註釈書によればこの日まで確定できるが、漢訳『五分律』の記す季節は異なる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『中阿含経』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- パーリ三蔵巴利律 Kd 1:22.1.1–22.12.4
- 大正藏大正藏 T01 no.26 p.497b–498c
- 大正藏大正藏 T01 no.41 p.825a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.797b–798a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.798a
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.109c–110a
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.134b–136c
- 大正藏大正藏 T23 no.1444 p.1027a
- 大正藏大正藏 T03 no.186 p.532b
- 大正藏大正藏 T03 no.187 p.612c–613b
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.650b–651c
- 大正藏大正藏 T03 no.190 p.856b
- 大正藏大正藏 T03 no.191 p.962c
- 大正藏大正藏 T04 no.192 p.33a
- 大正藏大正藏 T04 no.196 p.152a–153b
- 巴利註解書巴利註釋 Ap-a,s0510a,VRI 1.0099,phussamāsapuṇṇamāyaṃ
- 巴利註解書巴利註釋 Bv-a,s0511a,PTS 頁標 0.0004,同
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 67b4–75a4
- 藏譯(德格版)德格版 D1 ka 31a3
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.109c
- 大正藏大正藏 T03 no.189 p.650b
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.135b
- 大正藏大正藏 T04 no.196 p.152a–b
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.797b
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 70a6–70b2
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 75a2
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.136c