翌日、仏陀は千人のを率いてラージャガハに入り、王宮でビンビサーラ王が手ずから供する食事を受ける。
南伝パーリ律典、漢訳『四分律』、南伝の後世の註釈書は、入城のときが婆羅門の若者の姿となって先頭を歩いて道案内し、仏陀を讃える偈を唱えたとする。 パーリ三蔵
Kd 1:22.13.1SuttaCentral でパーリ原文を読む
異なる記載
帝釈天が道案内した時期:漢訳『五分律』は王が城を出て仏陀を迎えに行く途中、王がまだ仏陀に会う前に置き、帝釈天が雲の天蓋をつくり涼風を起こして暑さを払ったとする。 大正蔵
漢訳『四分律』はそのとき雨が降っていたとする。
記載の相違をさらに見る(1)
漢訳『根本説一切有部律』と蔵訳律典には、帝釈天が若者の姿で道案内したことはない。
時期
成道第 2 年、仏陀三十六歳、前、王が帰依した翌日。
南伝パーリ律典が「翌日」と明記しており、この日まで確定できる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』の三部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
時間の精度:この日まで確定。
出典
- パーリ三蔵巴利律 Kd 1:22.13.1–22.16.3
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.798a–b
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.109c
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.136c–137a
- 藏譯(德格版)德格版 D1 nga 74b2–75a5