ヴェーランジャーのが終わると、仏陀は、人に招かれて雨安居を過ごした者は別れを告げずに遊行に出ないと言い、アーナンダとともにその婆羅門の家に別れを告げに行く。
婆羅門は三か月何も供養しなかったことを悔い、翌日仏陀とたちを家の食事に招き、衣を供養する。
仏陀は彼に説法した後、去る。
主要な各部派の律典がこの出来事を記している。
南伝パーリ律典と漢訳『五分律』は続けて、仏陀がガンジス川を渡り、バーラーナシーを経てヴェーサーリーに至り、大林の重閣講堂に住んだと記す。
異なる記載
婆羅門の引き留め:『五分律』は彼が仏陀にもう一か月とどまるよう請い、仏陀が三度断ったとする。
漢訳『四分律』は彼が仏陀にもう九十日住むよう請い、仏陀が受けなかったとする。
仏伝『中本起経』は仏陀がもう七日とどまることを承諾したとする。
記載の相違をさらに見る(3)
供養された物:南伝パーリ律典は仏陀に三衣、出家男性一人につき一組の布。
『五分律』は布と履物。
漢訳『十誦律』は八種の粥。
各律はこれによって、雨安居の供養や雨季の衣を受けてよいなどの規定も定めている。
行き先:南伝パーリ律典と『五分律』は仏陀がヴェーサーリーへ向かったとし、『十誦律』は舎衛国へ、『中本起経』はヴァッジ国へ向かったとする。
『中本起経』のみ、この婆羅門がこのときを得たと記す。
時期
成道第 12 年、仏陀四十六歳、雨安居後。
供養を受けたのが別れを告げた翌日であることは経典が明記し、年とヴェーサーリー到着の月(カッティカ月、古代インド暦の一つの月)は後世の註釈書による。
別れを告げた翌日のその日まで確定できる。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「別れを告げる、悔いる、供養を受ける」の一節は、南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』の三部派に記載があり、多部派共伝に属する。
そのうち「ヴェーサーリーへ遊行する」は南伝パーリ経典と漢訳『五分律』の二部派に記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
註釈書による(経典には記されず、後世の註釈書が時期を記した)。
時間の精度:この日まで確定、月のみ判明。
出典
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.630b–631b
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.864b–c
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.2a–b
- 大正藏大正藏 T23 no.1435 p.99c–100b
- 大正藏大正藏 T23 no.1435 p.188b–c
- 大正藏大正藏 T24 no.1464 p.886b
- 大正藏大正藏 T24 no.1448 p.47c–48b
- 大正藏大正藏 T04 no.196 p.163a–b
- 大正藏大正藏 T24 no.1462 p.709c–710c
- 巴利註解書巴利註釋 Vin-a,§22,PTS 1.196;,§23,PTS 1.201;,§24,PTS 1.202
- 巴利註解書巴利註釋 《Vajirabuddhi》,§23,VRI 0.61、緬甸版 0.67
- 巴利註解書巴利註釋 Dhp-a,§82,PTS 2.155
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.2a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.630c
- 大正藏大正藏 T23 no.1435 p.100b
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.864c
- 大正藏大正藏 T23 no.1435 p.100a
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.2b
- 巴利註解書巴利註釋 Dhp-a,§82
- 大正藏大正藏 T04 no.196 p.163b
- 大正藏大正藏 T23 no.1435 p.99c
- 巴利註解書巴利註釋 Vin-a,§22
- 巴利註解書巴利註釋 Vin-a,§24
- 巴利註解書巴利註釋 Vajirabuddhi,§23