仏陀がラージャガハで国王を含む大衆に説法していたとき、デーヴァダッタが立ち上がって言った。 パーリ三蔵
「世尊は今や年老いておられる。目の前の安楽を享受なさるべきで、たちは私に委ねて率いさせていただきたい。」仏陀は三度拒み、「私はサーリプッタやモッガッラーナにさえ委ねない。ましてお前にか」と言った。 大正蔵
仏陀はさらに、僧団にラージャガハでデーヴァダッタに対する「宣告羯磨」(この者の行為は本人だけを代表するという、僧団の公開の声明)を行わせ、サーリプッタがこれを宣告した。
デーヴァダッタが僧団の掌握を求めたことは、三つの部派の律典に見える。
異なる記載
漢訳『根本説一切有部律・破僧事』は、デーヴァダッタがまずモッガッラーナに取り次ぎを頼み、モッガッラーナが禅定に入って観察した後に、デーヴァダッタが自ら仏陀に申し出たとする。
場所は竹林(ラージャガハの竹林精舎)とする。
記載の相違をさらに見る(3)
仏陀が年老いたと述べる言葉は各本で異なる。
南伝パーリ律典は「年老い、衰え、すでに晩年に至った」、漢訳『四分律』は「年齢はすでに老い、寿命は常人を超えた」、『破僧事』は「年老いて力が弱り、大衆に説法するのは苦労が多すぎる」とする。
漢訳『四分律』は、これがデーヴァダッタの生涯で初めて仏陀に不満を抱いたときであると述べる。
サーリプッタがデーヴァダッタの過失を公に宣告した節は、南伝パーリ律典と漢訳『四分律』の二つの部派にのみ見える。
時期
およそ成道第 38 年前後、仏陀七十二歳。
経典は仏陀が年老いたときと明記し、第 38 年はアジャータサットゥ即位の年から推定したもの(別の算定では第 37 年、仏陀七十一歳)。
現代の研究者による整理も仏陀七十二歳とする。
季節は不明。
前後の出来事からの推定で、年は不確定。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「付嘱を求める」の節は、南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の三部派に記載があり、多部派共伝に属する。
そのうち「サーリプッタがその過ちを宣告する」は南伝パーリ経典と漢訳『四分律』の二部派に記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
年齢からの換算(仏陀の年齢から換算した)。
時間の精度:年は不確定。