この年、仏陀は七十二歳(三十五歳成道から算出)。
はなおサーヴァッティーの祇園と東園である。
この年には、デーヴァダッタとアジャータサットゥ王子が手を結んだ一連の出来事を収める。
デーヴァダッタが王子のを得て、僧団の掌握を要求し、王子に王位の簒奪をそそのかし、ビンビサーラ王が譲位ののち殺され、デーヴァダッタが仏陀の殺害を謀って僧団を分裂させ、最後にサーリプッタとモッガッラーナ(仏陀の二大弟子)が離れていったたちを連れ戻す。
経典はこれらの出来事を「仏陀の晩年」に起きたとしか述べない。
ここではスリランカの史書が記すビンビサーラ王の在位年数から推定して第 38 年前後に置き、アジャータサットゥ即位後の他の出来事も、早ければこの年に起こりうる。
この年の雨安居
後世の註釈書によれば、仏陀は晩年、サーヴァッティーの祇園と東園を定まった安居の地とし、本年もここで過ごすが、どちらに住んだかは年ごとに記されていない。
漢訳『僧伽羅刹所集経』も、第 26 年から第 44 年まで十九年続けてサーヴァッティー国で安居したと述べる。
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