ビンビサーラ王は王位を譲った後、息子アジャータサットゥに殺された。 パーリ三蔵
この出来事は五つの部派に記載がある。
南伝のによれば、アジャータサットゥはデーヴァダッタに従い、父王を熏室(煙でいぶす密室)に閉じ込めて飲食を断ち、王妃ヴェーデーヒーにだけ面会を許した。
王妃は食物を衣服や髪や履物に隠し、後には身体に蜜を塗って王に舐めさせたが、いずれも禁じられた。
王は行きつ戻りつ静かに歩く(経行)安楽によって命をつないだため、アジャータサットゥは理髪師に命じて王の足の裏を切り開き、塩と油を塗って炭火であぶらせた。
王は仏・法・僧を憶念しつつ死に、ヴェッサヴァナ大王の従者であるに生まれ変わった。
異なる記載
死に方:幽閉と絶食、足を切って火であぶる細部は南伝の後世の註釈書にのみ見える。
漢訳『五分律』はアジャータサットゥが「父の命を害した」としか述べない。
漢訳『根本説一切有部律・破僧事』は太子が即位後に老王を幽閉し、王妃が毎日食物を届けたとする。
記載の相違をさらに見る(2)
南伝『沙門果経』と漢訳『長阿含経・沙門果経』では、アジャータサットゥが自らの口で父王を殺したことを認める。
漢訳『摩訶僧祇律』も、アジャータサットゥが父を殺した後に深く憂えたと述べる。
漢訳『十誦律』は「瓶沙王(すなわちビンビサーラ)が死去し、アジャータサットゥ王が即位した」ことを、ある戒律判例の時間的背景としている。
時期
成道第 38 年、仏陀七十二歳と推定し、譲位と同じ年に推定する。
経典は譲位と死の間がどれほどであったかを記さず、漢訳『五分律』は「ほどなくして」としか述べない。
これは前後の出来事と年齢からの推定の結果で、季節は不明、年は不確定。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「ビンビサーラがアジャータサットゥの手にかかって死ぬ」の節は、南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『摩訶僧祇律』、漢訳『根本説一切有部毘奈耶破僧事』の五部派に記載があり、多部派共伝に属する。
そのうち「熏室での絶食と足の切開」は早期各部派の経律には見えない。
- 年の根拠と時間の精度
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
年齢からの換算(仏陀の年齢から換算した)。
時間の精度:年は不確定。
出典
- 巴利註解書巴利註釋 DN-a,§150
- 巴利註解書巴利註釋 DN-a,PTS 1.136–1.137
- 大正藏大正藏 T24 no.1450 p.189c
- 大正藏大正藏 T22 no.1421 p.19b
- 大正藏大正藏 T23 no.1435 p.347b
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.798a
- パーリ三蔵巴利 DN 2:99.6
- 大正藏大正藏 T01 no.1 p.109b
- 大正藏大正藏 T22 no.1425 p.329b
- 大正藏大正藏 T02 no.125 p.782b