デーヴァダッタはアジャータサットゥ王の力を借りて何度も仏陀の殺害を謀ったが、いずれも成功しなかった。
アジャータサットゥはデーヴァダッタの求めに応じて仏陀を刺殺する者を遣わし、さらに幾重にも口封じの者を遣わした。 パーリ三蔵
刺客たちは仏陀を見ると恐れを抱き、仏陀が順に説法すると、彼らはを得て、してとなった。
デーヴァダッタはまた耆闍崛山(すなわち霊鷲山、ラージャガハ郊外の山)に登って大石を突き落としたが、石は岩に遮られ、その破片が仏陀の足に当たって血を流させた。 大正蔵
さらに象使いに命じて、ナーラーギリという名の酔象を仏陀の通る道に放ったが、仏陀は慈心によって象を降伏させた。
仏陀の殺害を謀ったことは四つの部派の律典に見え、石を落としたことと酔象はそれぞれ三つの部派に見える。
異なる記載
誰が大石を遮ったか:漢訳『五分律』は金鞞盧神が石を受け止めて遠くへ投げ、破片が仏陀の足の親指に当たったとする。
漢訳『十誦律』は欽婆羅夜叉が両手で受け止めたとする。 大正蔵
南伝パーリ律典は二つの峰が合わさって遮ったとする。
記載の相違をさらに見る(3)
酔象:南伝パーリ律典はナーラーギリという名とする。
漢訳『五分律』はアジャータサットゥ王の大悪象とし、酔象を放つことを石を落とすことの前に置く。
漢訳『根本説一切有部律・破僧事』は護財という名の大象とする。
刺客の人数:南伝パーリ律典は、まず一人、次に二人、四人、八人、十六人を遣わしたとする。
漢訳『四分律』はまず二人、次に四人とする。
南伝パーリ律典は、仏陀の言葉として、仏陀に血を流させたことがデーヴァダッタの造った最初の「無間業」(最も重い一類の悪業)であったと記す。
時期
およそ成道第 38 年前後、仏陀七十二歳前後、ビンビサーラの譲位の後。
経典は仏陀の晩年としか述べず、年はアジャータサットゥ即位の年から推定したもの。
季節は不明。
前後の出来事からの推定で、年は不確定。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「デーヴァダッタが仏陀の殺害を謀る」の節は、南伝パーリ経典、漢訳『四分律』、漢訳『五分律』、漢訳『十誦律』の四部派に記載があり、多部派共伝に属する。
そのうち「石を落として足を傷つける」は三部派に、「酔象を放つ」は三部派に記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
前後の出来事からの推定(経典にも註釈書にも時期の記載はなく、この出来事と前後の出来事の順序から年を割り出した)。
年齢からの換算(仏陀の年齢から換算した)。
時間の精度:年は不確定。