ある満月の夜、アジャータサットゥは群臣にどの修行者を訪ねるべきかと問う。 パーリ三蔵
大臣たちはそれぞれ六人のの師を推薦し、ジーヴァカだけが仏陀を推薦する。
アジャータサットゥは象に乗ってジーヴァカのマンゴー園へ行き、仏陀が千二百五十人のとともに静かに坐っているのを見る。 大正蔵
彼は出家修行には現世にどのような果報があるかと問い、仏陀は奴僕や農夫が出家して人に尊敬されるようになる例を挙げ、持戒、禅定、神通から煩悩を断ち尽くすまでを順に説明する。
アジャータサットゥは、自分が王位のために正道を行う父王を殺したことを認め、懺悔を受け入れるよう仏陀に請う。 パーリ三蔵
アジャータサットゥが去った後、仏陀は出家男性たちに、この王が父を殺していなければその場でを得られたであろうと告げる。 パーリ三蔵
異なる記載
日付:南伝『長部・沙門果経』は雨季四か月の終わりの満月の布薩の夜とする。
漢訳『長阿含経・沙門果経』は十五日の満月のときとだけ言う。
漢訳『増一阿含経』と『寂志果経』は七月十五日、すなわち安居が終わり出家者が一年の法臘を加える日とする。 大正蔵
記載の相違をさらに見る(2)
各本はいずれもその場にいた出家男性を千二百五十人と記す。
漢訳『長阿含経』はまた、アジャータサットゥの長子の名をウダーイバッダと記す。 大正蔵
漢訳『摩訶僧祇律』はこの経に触れて、アジャータサットゥが父を殺した罪のために心中つねに恐れおののいていたと述べる。
時期
月日は経典が明記するが、年は記されていない。
この出来事はビンビサーラ王の死後に起きた。
アジャータサットゥの即位の年から推算すれば、およそ成道第 38 年から第 45 年(仏陀七十二歳から八十歳)となる。
別の算法を採れば、最も早くて第 37 年(七十一歳)まで遡る。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
南伝パーリ経典、漢訳『長阿含経』、漢訳『摩訶僧祇律』の三部派に記載があり、多部派共伝に属する。
- 年の根拠と時間の精度
経典の明記(経典自身が時期を記している)。
年齢からの換算(仏陀の年齢から換算した)。
時間の精度:年は不確定、この日まで確定、月のみ判明。