南伝の後世の註釈書によれば、パセーナディ王は仏陀の部屋に入る前に、五種の王者のしるしを大将カーラーヤナに預けた。
カーラーヤナはしるしを持って軍営に戻り、太子ヴィドゥーダバ(パセーナディ王の子)を王に擁立し、王には馬一頭、剣一振り、侍女一人だけを残した。
王は出てきて政変を知り、ラージャガハへ行って甥のアジャータサットゥに兵を借りて国を取り戻そうとするが、道中で飲食の調子を崩し、夜に着いたときには城門がすでに閉まっていたので、城外の道端の家に泊まり、その夜に死んだ。
アジャータサットゥは王の礼をもって彼を火葬し、兵を出してヴィドゥーダバを討とうとしたが、大臣に諫められた。
異なる記載
漢訳『根本説一切有部律』は、擁立したのは大臣「長行」で、ヴィドゥーダバは「悪生」と訳される。
王は行雨夫人とともにラージャガハへ向かい、途中で空腹のあまり大根を食べ、水を飲みすぎて霍乱にかかり、倒れて死んだ。 大正蔵
アジャータサットゥは王の礼をもって彼を火葬し、仏陀は後にパセーナディ王の前世の業(過去の行いが残した影響)を説明した。
記載の相違をさらに見る(1)
漢訳『四分律』はパセーナディ王が王位を失い、太子ヴィドゥーダバが自ら王になったと言うだけである。 大正蔵
漢訳『増一阿含経』はパセーナディ王が天寿を終えた後にヴィドゥーダバを王に立てたとする。
時期
成道第 45 年(仏陀七十九歳から八十歳)と推定する。
経典は仏陀の晩年と言うだけである。
南伝の後世の註釈書と漢訳『根本説一切有部律』はいずれも、政変と王の仏陀との面会が同じ日であるとし、面会のとき仏陀は八十歳であったので、この年が導かれる。
王はラージャガハに着いた当日の夜に死んだ。
関連項目
- 年
- 地名
- 人物
- 説かれた経
研究者向け資料:信頼度・年の根拠・全出典
- 信頼度の判定方法
「パセーナディの失位、ヴィドゥーダバの即位」の節は、漢訳『四分律』と漢訳『根本説一切有部毘奈耶雑事』の二部派に記載があり、二派記載に属する。
そのうち「ラージャガハ城外での死」は漢訳『根本説一切有部毘奈耶雑事』のみに記載がある。
- 年の根拠と時間の精度
年齢からの換算(仏陀の年齢から換算した)。
時間の精度:年は不確定、この日まで確定。
出典
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,§364、§374
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,PTS 3.348–3.349
- 巴利註解書巴利註釋 Dhp-a,PTS 1.337
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.238b–239b
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.238c
- 大正藏大正藏 T24 no.1451 p.239a
- 大正藏大正藏 T22 no.1428 p.860b
- 大正藏大正藏 T02 no.125 p.690c
- 巴利註解書巴利註釋 MN-a,§374